カナリアの長い夜

 冬の王のお城から馬を走らせ、南へ二日。
 草芽吹き、花開く。春の香りの充ち満ちたその野は、かつて春の王の国でありました。けれども今では、春の王の行方を知るものはなく、春の王のお城は、冬の王の砦となりました。
 もうすぐここには冬の王がやって来ます。ですから、その歓迎の準備をしなくてはなりません。責任者は、冬の王の信任厚い臣下の一人で、カナリアという名を頂戴した少女でした。
 カナリアは、王様が大好きでした。
 王様は、名を持たなかった彼女に美しい鳥の名を下さった人ですから、親のように思っていました。それに、彼女の人格形成に大きな影響を及ぼした、偉大なる享楽主義者でもあったのですから。
 大好きな王様に喜んで貰うために、カナリアはたくさん考えました。幾度も月と星は現れては隠れ、王様のいらっしゃるまであと一夜となった頃、素敵な案を思いつきました。
 幸か不幸か、漆黒の帳を降ろしたグラン通りで、嘆き、哀しみに彩られた、賑やかな宴が夜ごと開かれるのはそのためなのです。

**

 鈴を転がすような美しい歌声は、寒々とした街の何処までも何処までも響き渡っていました。砦を囲む石塀に座って、彼女は月を仰いで手を広げます。袖の、金糸の蔦の刺繍が、不気味に、青白く発光していました。
 彼女の歌で、暗夜のパーティーの幕が上がります。
 地面から湧き出でる、数え切れない程の青白い亡者。ひとりでに灯って宙を彷徨う、かつて砦を見守っていたランプ。行く場所もなく、目的もなく、彼らはこの通りを――春の王の時代にはグラン通りと呼ばれたこの通りを彷徨い歩いているのです。自分たちがどのようにして、この世界に縛られているのかも分からないままに。
 彼女は、もうずっと長い間、この通りで夜を過ごしていました。時間にすれば、約五〇〇年というところでしょうか。未だ待ち人は来ないけれども、彼女はいつまでも待つつもりでいました。毎夜開かれる、この亡者たちとの夜会を楽しみながら。
 彼女というのは、もちろんカナリアのことです。
 かつてカナリアは、冬の王のお通りになるこのグラン通りを、一〇〇の春の民で飾り付けました。その春の民も、雨風に晒され、今では実体の無い彷徨う亡者となりました。
 今やここで、この街で、実体を持つものは、カナリアただ一人となってしまったのでした。
 けれども、カナリアももはや人ではありません。彼女でさえ、この幽鬼の街の一部である事には変わりないのです。夜の世界にのみ生きることを許された存在として、五〇〇年を生きながらえてきたのです。
 全ては、冬の王がいらっしゃる日のためなのです。

 彼女がどうしてこうまでも狂信的に王に忠を尽くすのかということを明らかにするには、冬の王についてを語る必要があるでしょうか。
 冬の王と呼ばれたその人は、十五の時に先王である父君を亡くされ、王位に就かれました。冬の王の国は、広大ではありましたが、国土の八割は年中厚い雪に覆われており、不毛の土地でした。歴代冬の王は、豊かな他国との交易によって、国の経済を成り立たせていましたが、新しい冬の王の時代には、もはやその策も使い物にはなりませんでした。
 その頃は、国土に恵まれた国でも天候の関係で不作が続き、どの国も自国をまかなうだけでも精一杯の状況であったのです。彼らの国でも飢餓は問題となっていましたが、冬の王の国においては、特に深刻な状況となっていました。
 さらには、目の上のたんこぶも問題になっていました。冬の王の国のさらに北の、夜の王の国のことです。以前は冬の王の国に比べれば豆粒ほどにも小さかった夜の王の国ですが、大陸全土が貧困と飢餓に苦しむその時代に、夜の王はここぞとばかりに勢力を伸ばし、冬の王の国の四分の一と、その他のいくつかの国の領土を侵略しました。
 夜の王は死者を従える力を持っていたので、兵士には事欠きませんでした。そのうえ、死者の兵士は生きている人間などよりずっと頑丈でしたから、夜の王が大陸全土を支配するのも時間の問題だと言われていました。
 カナリアの故郷は、冬の王の国との国境に近い、夏の王の国の小さな村でした。かつては緑豊かな土地でしたが、土地は痩せ、村民は飢餓に苦しんでいました。くわえて、夜の王は夏の王の国の王都を占拠し、さらに軍勢を率いて南下を続けていたので、いつかは夜の王の軍勢はこの村をも通り、自分たちもあの死の軍勢の一角としてこの国の大地を蹂躙するだろうという屈辱を受けることも覚悟していたのでした。
 けれども、夜の王がカナリアの故郷にやって来るより、十日前のことです。
 月毛の馬に跨がって、白い軍勢を率いる男が現れました。その男は、見目姿が非常に麗しく、顔立ちは中性的で、女とも見紛う美しさでした。それが、当代の冬の王、キロトア様でした。御年、一七でありました。
 冬の王は、村を拠点とする代わりに、飢餓に苦しむ村人に自分の食事を分け与えて下さいました。食糧危機に関して言えば、冬の王の国などは、夏の王の国にもまして酷い有様であったというのに。
 そして、十日後、村より数里先で、冬の王の軍勢と夜の王の軍勢が戦争を始めました。勝ち負けで言えば、元より夜の王の軍勢の性質には、いくら冬の王でも敵わぬことでした。けれども、冬の王は、その目的をお果たしになりました。夜の王の姫君、後の冬の王妃となる、ルカ様を夜の王から人質として奪うことに成功したのです。多くの兵士が死に、そのためにカナリアの故郷は瞬く間に夜にのまれてしまったものの、それ以降、夜の王の南下を食い止めることができ、村の民も、冬の王の国に迎え入れられました。
 さらには、カナリアはルカ様のお世話係に任じられ、冬の王の近くで仕事をさせていただく機会も多くあり、やがて、王の享楽主義の僕となりました。王の精神的世界において、最も王に忠実な衛士となったとでも言いましょうか。王の、王らしからぬお姿を崇拝し、従い、支え、王が王としてあり続けるためにそれらを隠蔽するのです。
 世間的には、これらを汚れ仕事と呼ぶのでしょうが、カナリアはそう感じたことはありませんでした。冬の王ではなく、その玉座に仕える者たちより、よっぽど冬の王の実像に近いところにいることが出来ました。大陸は既に、夜の王という大きな虫に食い荒らされて、穴だらけでした。そんな大陸で、絶望にうちひしがれるよりも、享楽に酔う王は実に目映く、美しく見えたのです。その大きな存在を知るということは、何より喜ばしいことでした。
 そうして、冬の王の一つの側面において側近的地位を確立したカナリアは、いつしか、表の舞台でも重用されるようになり、そのために、旧春の王の砦で冬の王を迎えるというお役目を頂戴することにもなったのです。そのお役目は、カナリアが任された仕事の中では最も大きなことでした。
 冬の王に喜んでもらえるようにと、趣向を凝らして冬の王の到着を待ったあの日。けれども、冬の王はいつまで待ってもいらっしゃいませんでした。
 国からの伝令と、カナリアを捕縛する部隊とは、同じ存在でした。カナリアは、冬の王のあらゆる面において従順なる召使いでありましたから、冬の王の骸が密かに土の下に納められたあの日、亡き王と意志同じくする害悪として火あぶりにされました。
 カナリアの知る事の顛末は、どうやらこういったことらしいのです。
 まず一つに、冬の王の享楽主義が、どうにも、おいたが過ぎる、ということでした。加えて、夜の王との関係ですが、あの時代、重臣たちはへりくだれば夜の王は冬の王の国を悪いようにはしないはずだ、と考えていたので、夜の王の国と冬の王の国との対立関係がそもそも気に入らなかったようです。人質兼、王妃であらせられるルカ様と王との関係も、彼らから見ると少々不穏に見え、不安要素であったらしいのです。夫婦のことですからそっとしておけばよいものを、とカナリアは思いました。とはいえこの拮抗状態の中、ルカ様がもし城を出て夜の王の下へお戻りになったとしたら、途端に冬の王の国は侵略されてしまうに決まっていますから、彼らにとっては非常に重要なことだったのです。
 カナリアは、あまり驚きはしませんでした。だって、冬の王の暗殺計画はそれが六度目だったのですから。五度、重臣たちは大陸中から恐ろしい猛毒を集めて冬の王の杯に仕込みました。けれども冬の王は、毒で命を落とされることはありませんでした。その舌で大陸でも五指に数えられる猛毒を味わったことが冬の王の自慢だったくらいです。
 そして、その度に犯人を捕まえて、もしくは犯人をでっち上げて、長く続く拷問と、その後の処刑を楽しんでおられました。
 六度目にしてようやく暗殺が成功したようですが、一体どのようにして冬の王を弑虐されたのかはカナリアには分かりません。刺したか、嬲ったか、首を落としたか、火にかけたか――今では誰も知らないのでしょう。近代の歴史的な分析によって、クーデターだったということが明らかになっていますが、当時は病死として公表していたのでした。
 結局、それらは今の大国、秋の王の国や朝の王の国からすると、この冬の国のクーデターは愚行だったという見解がなされているようです。
 重臣たちが王を弑虐し,カナリアを裁いた後のことですが、彼らはルカ様を夜の王の下へお返しするとともに、夜の王の国との同盟関係を望みました。それが叶わぬなら属国という扱いでも構わない、という態度で。夜の王は、喜んで彼らと、冬の国を受け入れたそうです。けれども、夜の王の国の参加に下ると言うことはつまり、死の国の軍勢になることと同じでした。あの重臣たちも、今では自分たちが何をしでかしたが、どんな地位にあったかも分からず、ただただ生者の国土を蹂躙する夜の兵隊となってしまったようです。
 一方、裁かれたカナリアは、気がつくと、この砦にいました。繰り返される夜の宴の中、目を覚ましたのです。カナリアは王を待ち続けて五〇〇年だと思っていますが、本当はもっと多くの月日が流れてしまっているのかもしれません。
 けれども、そんな些細なことは、どうだっていいのです。カナリアは、何年、何十年、何百年と王を待つつもりでいるのです。これまでも、これからも。王がいらっしゃるまで、自分の存在が潰えるまで、いつまでだって待つつもりです。
 王の行方は知れません。
 おそらくカナリアの死後、冬の国は夜にのまれてしまった。だから、カナリアも夜の一員となって甦ったのでしょう。ですが、同様に冬の王が甦ったかどうかは分かりません。夜の王は冬の王のことを毛嫌いしていたので、もしかすると、故意に甦らせなかったのかもしれません。となれば、お会い出来るのは、もっともっと先のことになるでしょう。
 ルカ様も、夜の王の下に戻られたあとの事は分かりません。
 火にかけられる前、冬の王の死について耳にした折、ルカ様のお腹には御子がいらっしゃるかもしれないという話を聞きましたが、夜の王の都から随分と離れた旧春の王の砦にはそのような噂も聞こえてきませんでした。亡者共の関心の外であったからかもしれませんね。
 あれこれと考えて待つ夜は、ひどく長くも、短くも感じられるものでした。ふと、亡者たちの姿が次第に薄らいでいくのに気がつくと、東の空が白み始めているのでした。
 カナリアは他の亡者たちに比べれば、光の下でもすぐに消えてしまうという事はありません。けれども、肌がひりひりと痛んで、暖かいはずなのに、身体の芯が氷水でも浴びたみたいに冷たくて、寒くて、とても気持ちが悪くなるのでした。そのため、カナリアはいつも、朝日が昇る少し前に、まっ暗な砦へと入るのです。
 もうじき、宴も終わります。黄昏の後に再び長い夜が訪れるまで、ほんのしばらくの、さようなら。――そう、いつも通りなら。

 ふと、見ると、亡者も全て消え去ったグラン通りの真ん中に、屋敷がぽつんと建っていました。
 さっきまで、あんなところに屋敷なんて無かったのに。
 びっくりしてカナリアは目を丸くしました。それから暫くして、主に文句を言ってやろうと思って立ち上がりました。このグラン通りは、いつか冬の王がお通りになる道。朝の世界はカナリアの目の届かぬところとはいえ、今はまだ夜の去り際。月も未だ空にある時のことでした。
 近寄ると、馬の嘶きが聞こえました。耳の奥で、微かに。――そう思ったのは、もしかすると、古びたドアの軋みであったのかも知れません。カナリアの存在を感じ取ったように、ゆっくりとドアが開くと、向こうに長い黒髪の女が立っていました。
 白い肌、黒い髪、黒い服。色味のない女であるのに、実に顔つきは華やいで見え、美しかった。かつて仕えた人を思い出すのは、彼女もまた、冬の王の好みの顔立ちだったからでしょう。
 女は囁きました。
「ようこそ、毒王領店へ」
 カナリアは足を止めて、悪びれる様子もない彼女に言います。
「ここはわたくしが君主に任された地。誰の許しを得てここに店など開こうというのです。たとえ夜の王がこの砦を必要としたとて、わたくしはここを開け放すつもりはございません。即刻に、立ち去りなさい」
「あなたが、この店を呼んだのよ。あなたは知らないかもしれない。けれども、あなたの心理がこの店を呼んだわ」
「世迷い言を……」
「朝が来ようという。さあ、お入りになって。早く。あなたはそれを望んでいた。長い間、ずっと」
 彼女は開け放ったドアを支えて立ち、カナリアを奥へと促すのでした。けれども、どうしても警戒心がカナリアの足を進めようとはしません。かといって、放って去ることもできません。空はどんどん白んでゆきます。それでも。
 一度、カナリアは空を見上げました。もう、時間がないのです。朝日はひどく身体を病みます。ああ、どうしたら良いのでしょう――。
 そう思ったとき、奥から声が聞こえました。
「私はそこへ出ることはできないのだ。おいで、カナリア」
 身体の芯が、熱く震えました。白く細い手で、驚愕の余り呻きか嗚咽かというような声を出すその口元を押さえて、カナリアは立ちすくみました。警戒のためではありません。喜びのためにです。
「ああ、もう一度……お呼びになって下さいまし……」
 五〇〇年、待ちわびた声でした。目を瞑って、カナリアは彼に懇願しました。すると、扉の向こうの暗闇から、返事が返ってきました。
「早くおいで、カナリア。今に太陽が目を覚ます」
「はい。陛下……!」
 足取りもおぼつかないカナリアを、黒髪の女が導きました。扉の向こうの暗がりへ、そして、玉座というには余りに粗末な椅子に腰掛けたその御方の足下へと。
 姿は少し変わって、歳を経られたように見えますが、その眼差しは紛れもなくカナリアが崇拝した冬の王のものでした。
「陛下、この日をお待ち申し上げておりました」
 そう言うと、カナリアの瞳からはぽろぽろと大粒の涙がこぼれました。幼少期以来、枯れたとさえ思った涙が今になって溢れてきたことは、カナリアにとって驚くべき事でした。
「ずいぶん待たせた。私はもはやあの砦を使うことの出来る身ではなくなってしまったというのに。苦労をかけたな」
「いえ、わたくしの前に姿をお見せ下さったこと、それだけで待ち続けた甲斐がございました。まだわたくしがお役に立てることがあるのなら、この身、心、全て、陛下のために……」
 冬の王は、カナリアの濡れた頬を拭って下さいました。かつて、まだ冬の王にお仕えする前、幼い頃に夜に飲まれる寸でのところに村へといらっしゃった冬の王も、そうしてカナリアの心を救って下さったのでした。
「キロトアはもう、夜にも朝にも、そして冬にさえ属していない。キロトアは、今は各所で毒の魔王と呼ばれている。そして、……お前を哀しませることになるかもしれないが、私は厳密には、もうキロトアではないのだ」
「何を仰います……あなたの他に、その名で呼ばれるべき者がおりましょうか……」
「キロトアは不完全な死を遂げ、再びキロトアとして甦るはずが、不完全な存在として生まれ落ちた。それが、私だ。今の私は毒の魔王にもキロトアにもなり損なったまがい物だ」
「それでも、わたくしの主はあなた様でございます。私にとって、あなたこそがこの世界の全て。真実なのです」
「そうまで言ってくれるか、カナリア」
 王は、すっくと立ち上がって、それから仰いました。
「カナリア、私の糧となれ」
 カナリアには、それがどういう意味を持つかは分かりませんでした。けれども、それでも良いのです。王が、そう命じられたのです。カナリアが王だと信じるその御方がそう仰ったのです。
「よろこんで。この身はもとより、あなた様の為に」
 再び、身体の芯が熱く震える気持ちでした。王の役に立つことが出来る。五〇〇年間、王の役に立ちたいと願い続けてきました。今、この瞬間が、嬉しくて堪らなかったのです。

 そして、その日、朝日の昇るその時に、彼女の長かった夜は終わりました。グラン通りの朗らかな夜明けには、毒王領店は既に姿を消していました。

**

 カップに、紅茶が注がれる。
 三つのカップに全て注ぐも、一つはまた夜が来たって空くことはない。
 生前は思い描きもしなかっただろうに、彼女は――カナリアは今、彼女の崇拝した王の片膝の上に座って、その腕に抱きとめられている。オーナーは華奢な男だ。それでもそこに収まっているのだから、彼女がいかに小柄であるかを思い知らされる。
 彼女はまだ小さな子どもだ。キヨコよりも幼いだろう。だが、顔立ちに見合う体格かと言えばそうでもなく、すこし小さすぎやしないかとも思う。当時は状況が状況だったのだそうだ。
 珍しく、このオーナーが過去の話を聞かせてくれた。かつてキロトアなる人物として彼の大陸に存在したこと。そして、その大陸の飢餓の問題と、夜の侵攻。
 この人にしては饒舌すぎるくらいだ。
「五〇〇年も自分のことを待っていた少女に、よくも糧になれなどと言えるものだこと。私なら発狂していました」
「お前に誰かを五〇〇年も待てないだろうさ。良くも悪くも、お前は待つ女じゃないのだから」
「まあ、そんなことを仰るの」
「当たり前のことを言っただけだ。カナリアは身体が夜にのまれても、心まではのまれなかった。キロトアという支えがあったからこそ、五〇〇年、その心を壊さずにいられた。もっとも、人間だった時分からこの子は壊れていたともいえる。あの頃からキロトアとルカ以外に支えがなかったのだ。狂信者たちの筆頭だよ、五〇〇年待っていたのも頷ける」
 優しい微笑みを浮かべて、そう言った。今さっき冷酷にも糧となれと言った少女に対して、慈しむようだった。彼も、彼女も、冷酷だなんて思ってはいない。彼らにとってはそれが当たり前のことであるのだろう。
 主従関係というのは、キヨコには理解しかねる。
「一つ聞いてもよろしいですか?」
「何だ」
「そのキロトア様はどうして亡くなったのですか?」
「だから、言ったろう。殺されたと」
「そうじゃなくて、毒では死なない男を、何で殺したのですか、と」
 ふっと、オーナーの笑みが意地悪いものに変わった。
「さて、ねえ」
 返事はそれだけ。こういう返事が返ってくるときは、結局自分から白状することはない。
「刺された、とか」
「いや」
「首を切られた、とか」
「いや」
 考え倦ねていると、彼はぽつりと言った。
「ひどい殺され方をしたのだ。おそらく相当恨まれていたのだろう」
「他人事のように仰いますね」
「記憶はあるが、別人だからな」
「ふうん」
 紅茶を口に含んで、すっかり朝日も昇った外の景色に目をやる。そこは、もう既にグラン通りではなく、何処であるかも分からない、平原のただ中である。
「もう一つ、聞いてもよろしいですか」
「何だ」
「王妃様はどうなったのです?」
「さあ、知らない」
「気にならないんですか? 奥様なのに」
「私の、ではない。キロトアの妻だ。どうして女はこういう話ばかり好きこのんでしたがるんだ」
 ウンザリした風に、ため息をつく。
 ほとんどの世界で、ほとんどの場所で、来るのは女の客ばかり。一部地域の常連客を除き、男の客などほぼ来ない。そのようにこの店を設定した主がつまりこのオーナーであるが、彼はあまり女たちが集まってするそういった話は好かないらしい。
「あの女は夜の王の一人娘だ。心配には及ばない。むしろ……」
 言いかけて、「いや、やめよう」と、オーナーは言葉を切った。聞き返そうとすると、カナリアを抱きかかえて立ち上がり、「準備を始めろ、午後は店を開ける」と言うのだった。
「はいはい」
 
***

 店長おすすめ新メニュー
 【狂信のスープ】 ――享楽的精神世界における、忠僕――

 当店のスープは、精神状態に害を及ぼす危険性があります。注文後のクレームは一切受け付けておりません。お客様の自己責任でご注文下さい。

top